日本の外国人旅行客

IMG_4426そろそろ日本は紅葉の季節。京都のお寺でも行きたいなぁ〜と夢見てる。私の京都の紅葉ポイントは決まってる。とにかく東山。その話はよいとして。
日本のニュース記事を見てると、日本は「外国人旅行者を増やさなくちゃいけない」そうで。パリ並みに外国人旅行者を増やして、つまり、稼がなくちゃいけない、と。ビジネス的視点で見てるあれこれを読むと、そうそう、その通り、最もだ。努力が足りないぞ、とも思うんだけど、どうも、しかし、しっくりこない。
たぶん。自分のお気に入りの場所を外国人(なんかに)荒らされたくない、って、ある種の嫉妬心、とか、独占欲みたいなものがある。大好きなレストランを人に教えたくないって心境と似ている。それに、単純に、日本の観光地が外国人だらけになるのは、嫌だ、というのがある。数年前、冬の雲仙へ行ったら、人が少なすぎて心配になった。そこへ大型のレンタカー2台で中国人観光客がやって来たのに遭遇した事がある。経済的な視点で言うと、彼らをどんどん呼び込んだ方がいいに決まっている。中国人は温泉が大好きだし。うまくやればきっと成功する。でも、日本人、または長崎県人としても、雲仙が中国人だらけになるのは、嫌だ。難しい問題だ・・と、その時もそう思った。
よく例に挙がる、パリを考えてみる。私もパリは大好きで何度も行っている。確かに外国人は多い。でも、なんというのか、パリに長く滞在すると、それだけ、自分がパリの人でない疎外感を感じる。同時に、そこで粋に暮らしてるフランス人に対して「かなわないなぁ〜」てな敗北感みたいな心地が常にある。と、考えてみると、そこは、その街に暮らす人の、誇りとかプライドみたいな違いなのかもしれない。例えば、雲仙に馴染みの湯治客みたいなものがある程度いて、遠くから来た観光客は「ただ、その空気をちょっと体験させてもらっているだけ」な雰囲気があれば、それで、面目が保てるというのか、大量の外国人も、許せるものになるのかもしれない。今の雲仙で、もし外国人観光客を大々的に呼び込むキャンペーンみたいなものをやったとしたら、そこはまるでテーマパークのような、実体のない、空虚な場所になってしまうだろう。それが私は嫌なんだろうか。
きっと外国人観光客を呼ぶには、まず日本がしっかりしないといけない。日本人こそが、日本を好きになり、自慢したいと思ってるような、そんなアイデンティティがまず、しっかりないと、ただ荒らされるだけに終わってしまうんだと思う。「へ〜あんたなんかにも、このよさが解るんだ〜」てな。上から目線。自分が卑屈なのか?ヨーロッパを旅行するといつも、どこかで私は「そんな風に思われてるいるかのような」気分を味わう。アジア人だけではない。アメリカ人だって、どこで見かけても、かなり浮いている。
パリにしろ、イタリアにしろ、考えてみると、外国人が溢れる観光地はどこもそんな空気がある。その上から目線が、また魅力になり、観光客を呼び込む。何度も例にして悪いけれども、雲仙が外国人観光客で溢れたとしたら、それはまるで、落城した城が他所の人に占拠されたかのようになってしまうだろう。日本中がそうならないように、そこは注意しながら、正しく、外国人が増えるといいのだけれど。

写真はいつもの散歩道(北京)。あしからず。

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