「野蛮人の国の男」と「未来の国の女の恋」

写真前回、SF映画のセックスの話に触れたけど、こないだネットで拾い読みしたSF小説も面白かった。
未来の話。ここでは子供は専用の工場で、この社会に相応しい遺伝子を持つように、まとめて受精され大量生産される。生まれるまでにベルトコンベヤで移動しながら、この国にとっての「いいもの」を好むように、「悪いもの」を嫌うように、養成される。子供が母親から生まれたのは遥か昔の話だから、ここでは「母親」という言葉が、既になにか卑猥なものを感じさせる「口にするのも恥ずかしい言葉」になっている。その国の女と「野蛮人の国」の男が恋をする。野蛮人の国では子供は今でも母親から生まれる。結婚し子供が生まれ家族で生活する。私たちの今と同じ暮らし。
お互いは惹かれあうのだけれど、どうも会話が噛み合ない。この世界では、子供は工場で生産されて、セックスは快楽の為にある。気に入ったもの同士は誰とでもいつでもセックスをする。誰かひとりに限定するのは罪悪だということになっている。もちろん結婚もしない。誰かと固定的な関係になることが、「いけない事」になるように、国(社会?)が洗脳しているせいだ。だからここではヤキモチだの、浮気だの、不倫だの、そんなことが一切ない。一方、野蛮人の国から来た男は、誰かが忘れていったシェークスピアを読んで育っていて、男女のプラトニックな純愛を信じている。セックスを求めない愛こそが本物だと信じている。
お互いに愛し合っていることがわかると、女は当然のように服を脱ぎ始める。それを見た男は大声で叫んでそれをやめさせる。そこで、二人の愛は終わる。
二人の信じる「愛」の形が違い過ぎる。どちらが正しいのか。続きは明日にしよう。

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