「袈裟と盛遠」

写真うむ。難しいお題目を立ててしまった。たいして何も考えていないまま書き出してみる。
今、吉川英治の「新・平家物語」を読んでいる。ちょうど良い長さの「平家物語」を探していたら、ちょうど刊行中のこれにあたった。全然、ちょうどよくない。全20巻だ。でもとりあえず読んでみるかと、1、2を日本から買って帰って来た。で、今、1を読み終わったところ。早く次が読みたい。でもこの分では帰国の予定よりずいぶん前に2を読み終わってしまう。正月に帰国する駐在員の誰かに頼んでみようか・・・・などと思案しているところ。この20巻を読むまでは、他の本が読めなくなってしまう。ちょっと困った。
さて、それはどうでもいい話で。これを読んでる中で、おや?と気がついた。「袈裟と盛遠」のエピソードがこの第1巻に登場している。「袈裟と盛遠」といえば芥川龍之介だ。文章の詳細は覚えてなくても、思い出してみようとするだけで、感触が蘇る。湿った、寝具の上の、暗い、濃厚な、空気がじわっと迫って来る。耳元で感じる熱い吐息まじりの声。暖かくて湿った感触。最高にいやらしい。
すぐにネットで探してもう一度読んでみた。すると、あまりに文章が短いのに驚いた。読み終わるのにきっと30分もかからない。こんなだったっけ?この中のどの文章が私にその空気の感触を与えたんだろうか?と何度も読み直した。でも文章はどこも素っ気ないほどに淡々としていて、もちろん濃厚なベッドシーンが書かれているわけではない。
やっぱり芥川龍之介ってすごい。私だけだろうか。芥川の文章を読んでいるときは、まるで映画を見ているようだ。ずっと情景が目の前に見えている。映画のシーンのように、ズームしたり引いたり、声も遠くなったり近くなったりと場面が進んでいく。「袈裟と盛遠」だって、何年も前に読んだ、この短い文章が表現する空気の記憶が未だに残っているなんて、それだけ私の体験が濃厚だということ。
そんなわけで、今、私の中では、芥川龍之介がちょっとブーム。短いエッセーやらを読んでもかなり面白いし、彼自身の恋の話にも興味津々。こんな文章が書ける人は濃厚な恋愛を知っているに決まっている。
古今東西、文学者やアーティストや、その他クリエイティブな人はみんな恋愛が好きなのだ、と最近、つくづく実感している。だらしないと言わないで。想像力がないといい恋愛はできない。クリエイティブな人は、つまり想像力が豊かなんである。でも、それほどの想像力があるのなら、どうして、恋はつらいなんて言いながら恋愛を重ねるのか。空想が好きなんである。空想に胸を膨らませる。ありもしないことを空想する。心を熱くするものをずっと求めている。
あ、今回は「袈裟と盛遠」の恋愛を書くつもりだったのに、自分の空想で終わってしまった。

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