ザハ・ハディドの話

dezeen_Galaxy-SOHO-by-Zaha-Hadid-Architects-11珍しくデザイナーらしいお題を選んでみましたが・・。
ヨーロッパのデザイン系Webマガジンにザハ・ハディド設計の朝陽SOHOが載ってるのを見かけた。朝陽SOHOはウチからも近いからタクシーで通りすがりに何度も見てる。その雑誌に掲載されている写真はどれも美しくてまるでSF映画のようだ。その写真より私が注目したのはコメント欄。かなり荒れていた。「こんなの写真だけだ。本物を見たらがっかりするよ」「中国に住んでるけど、ここの施工精度なんだから実物は全然違うよ」「外装の写真しかなくて、これで建築っていえるのかよ?」・・・まぁだいたいこんな感じ。中には褒めるコメントもあったけども。
私の感想を述べてみる。まず、これだけ話題になるってことは、一つの成功だと思う。のと、最近は私も、建築の中には「こんなモノもあってもいいのかもしれない」と思うようになっている。ずっと以前は、こんな建築が嫌いだった。建築って人が中で過ごすための箱なんだから、っていう考え。主人公は中にいる人の営みであって、それを包むのが建築だと。人を包む空間の構成で建築が出来上がる。中で過ごすことが快適でなければならないし、同時に、空間が美しくなくてはならない。そりゃもちろん外見の格好の悪いのはいけないけれども。ただ着心地がよいだけの服なんてなんの魅力もないのと同じで。ただ優しいだけの男がなんの魅力もないのとも同じで。でも、しかし、朝陽SOHOはやり過ぎだ。中に入った事はないから強くも言えないけれど、何よりも、ソトヅラを最大に重視しているのは明らかで、他を犠牲にしても、ソトヅラだけは守って格好付けるんだと、見た目だけの男のようなものだ。でも、なぜ私が「こんなモノもあってもいいのかもしれない」と思うかというと、単純に美しいからだ。夜に見ると特に、夢を見ているように美しい。先日、偶然によく似た望京SOHOの夜景を近くで見た時にも、ぽーっと見とれた。建築として・・・なんて言うのは大上段な物言いであって、実際には施主やその街の人が気に入ればそれでいいわけで。そう言う意味で間違いなくあの建築は北京の人に好まれている。「私もあんなビルに入居するオフィスで働きたい」とみんなが思うはずだ。その点で、世界中の建築好き欧米人や、日本人や、その他が何を言おうと、どうでもいい話だ。
それともう一つ。北京にはモニュメンタルな建築物がいくつかあるけれども、それを間近で見ていて思うのは、こんな風に街のアイコンになる建築物ってのも必要なのかもしれないということ。パリのエッフェル塔みたいなもの。特に発展段階のこの街には、こんな風に「世界に誇れる建築」だと、地元の人が思える建築ってのは必要なんだろうと思う。例え、それを世界中の建築好きが批判しようとも。世界中の人が「あんたそんなもんがカッコいいって満足するなんて田舎者ね」とあざ笑おうが、その声は本人には聞こえない・・・・。
そういえば少し前、デザイナーの友人(中国人)が中国版LINEに興味深いサイトをアップしていた。「今や中国は国中にヘンテコ(奇怪)な建築がいっぱいだ。世界中の人が、中国人はバカだし、お金もあるからって、ヘンテコな建築を建てにやってくるのさ。もういい加減にこんなのは要らないと思わないか?中国の仲間たち、どう思う?」てな内容。中国の中にもそう思い始めている人は増えて来てるに違いない。

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